ぬるぽ

ゆるくプログラミングなどを語っていくブログ

人の数だけ歴史がある、自分史を振り返ってみよう!!(Since2009)

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こんちにちはmorimori(@TatsunoriMorita)です。

 

 この記事はAdvent Calenderの16日目の記事になります。

adventar.org

 

人生で初のアドベントカレンダーであり、2018年も残りわずか、プログラマーになってちょうど4年が経ったのでこの機会に社会人になってからの自分の歴史を振り返って見ようと思います。

年代が曖昧な部分もあるけど、そこはご了承下さい。

 

 

Morita暗黒の営業時代(2009年~)

愛知県の大学を卒業して、東証一部上場の製造業のメーカーに営業職で入社しました。

なぜその会社を選んだかというと、特にやりたいことがなく、たまたま受かったからというのが理由です。

周りが合同説明会に参加している中、自分は一度も参加せず、履歴書も結構適当に書いて出すいい加減な就活生でした。

ちょうどリーマンショックで内定取り消しが問題になった時期でしたが、幸運にも内定取り消しにはならず、社会人になることができました。

就職して、初任地として配属されたのが富山県の営業所で、そこには50代の所長1人しかいませんでした。つまり自分を含めて2人だけの営業所。

 

仕事は基本ルート営業で、決まったお客さんを訪問して使ってもらってる製品の使用感や、在庫管理が主な業務でした。

飛び込み営業はなく、どちらかというとホワイトな仕事内容でした。

ただ、そんなにコミュニケーション能力が高いわけでもなく、お客さんも年配の方が多いので話が合わないし、営業職の価値が見いだせなく、

自分には向いていないと思っていました。正直なところ、何が一番嫌だったかと言えば、あまり仕事がなく、暇だったことです。

暇をつぶすために仕事を作る。この無駄なことが嫌いでした。

 

Morita読書に出会う(2009年~2012)

富山県で一人暮らしを初めて、日経新聞を取り始めました。社会人=日経新聞のイメージが強かったので、社会人なら日経新聞を読んで当たり前と思っていました。馬鹿ですね。

購読してびっくりしたのは、書いてあることがさっぱり分からなかったことです。

社会人になりたての馬鹿だったので、『社会人になるとこんな難しいことが分からないとだめなのか!!このままではまずい!!』と雷に撃たれるくらいの衝撃でした。

振り返ってみると、日経新聞ではなく、スポーツ地とか芸能人のゴシップネタが多く載っているような新聞を購読していたら、恐らく今こうしてブログを書いていなかったくらい、自分の人生に大きな影響を与えました。

 

自分の無知さに焦りを感じた時に出会ったのが、テレビ朝日で放送していた『池上彰のニュースそうだったのか!!』。

解説がわかりやすかったので、出版されている著書を片っ端から買って読みまくりました。

次第に知らないことを知るのが楽しくなって、池上さん以外の本も読むようになっていきました。

 

Moritaプログラミングを始める(2012年~)

多読、乱読をするなかで、リブセンスのも村上太一さんの『リブセンス<生きる意味>』や、サイバーエージェントの藤田晋さんの『渋谷で働く社長の告白』を読んでプログラミングに興味を持ちました。

社会人になって多少仕事にもなれた頃で、何か新しいことを始めたいと考えていた時期でもありました。

新しく趣味を始めるにあたって、当時の仕事にも多少関係していた陶芸か、プログラミングのどちらをやろうか悩んだ結果、時間と場所に縛りがないプログラミングをすることにしました。

プログラミング言語がたくさんあって、どれをやればいいか分からなかったので、身近で使うものを作った方が気合が入ると思い、客先に納品する製品の納期管理アプリを作るために、iOSアプリ開発用のMac book Airを購入しました。

Mac20万もしたので、さすがに購入を躊躇われましたが、投資だと思ってボーナスで購入しました。

今考えるとそのMacを購入したからこそ、プログラマとして給料を稼げているので、安い買い物でした。

ちなみに、趣味でプログラミングを選ばずに陶芸を選んでいたら、今頃陶芸家を目指していたかもしれませんw

結構はまると突き詰めるタイプなので、土をこねてたかも。

 

iOSアプリ開発は全然わかりませんでしたw

サンプルコードが載った本を写経したり、ネットで自分が実装したい機能のコードを探して真似してみたりしたが、その都度エラーが出てなかなか進まず。

周りに聞ける人もおらず、ひたすらトライアンドエラーの中、ストレスでPCを窓から投げ捨てたくなることも多々ありました。

ただ分からなかったこと、できなかったことができた時に、脳内でアドレナリンが大量放出されて、天才になった気分になれるのがたまらなく好きでした。

結局大したものは作れなかったのですが、毎日仕事終わりから寝るまでの時間で少しずつプログラミングしていました。

 

Moritaプログラマになる(2014年~)

趣味でプログラミングをしていましたが、自分の思ったものが作れるようにレベルアップがしたい、本格的に仕事としてプログラミングをしたいと思うようになっていました。

そんなことを思っている折に、朝会社へ行くと、突然広島への転勤を伝えられました。

その時、頭の中でいろんな考えが一瞬にして駆け巡り、導き出した答えが退職してプログラマーに転職しようと思い、その場で退職する旨を上司に伝えました。

正直なところ、転勤の辞令がなければもう少しだらだら営業職をしていたかもしれません。その当時は会社の辞め時みたいなものが分からなかったのと、5年も富山に住んでらけっこう気に入っていたので、ちょっと寂しい気持ちもありました。

 

仕事に対してとてもスピード感のある上司だったので(というかめちゃせっかちw)、今仕事をする上でとても役立っているし、はじめての部下だったので、とても可愛がって貰えたことは非常に感謝しています。

今でもたまにラインのメッセージが来るのと、Facebookの友達になっているので、上司が何かアップしているのを見つけたらコメントしてます。元気そうなのでなによりです。

 

住む場所とお金がなかったので、愛知県の実家に戻り転職活動をしました。

IT起業をいくつか受けて、最終的には友達が努めていた今の会社に就職しました。

SESで客先常駐ではありましたが、憧れていたプログラマーで、新しい世界で勉強になることも多くあり、それなりに楽しかったです。やはりものを作るのは楽しいです。

最初の数年は分からないことだらけだったので、家に帰ってから明日やる作業の実装を試しにやってから、次の日に職場で同じように実装して作業を進めていました。(職場の仕事を持ち帰りできないので)

 

数年が経って、スキルに余裕が出てきた頃から、自分でなにかサービスを作ってお金を稼いで生活して行きたいと思うようになりました。

ただ作り上げるモチベーション維持と、作った後に続けていくモチベーション維持がとても難しかった。

そこに関してはまだまだ試行錯誤と実験が必要だと感じています。

 

Moritaの現在とこれから(2018年末~)

現在は会社の同僚に頼まれて、3月にある某市のワークショップで披露するARアプリの開発をやっています。

仕事でやっているわけではないですが、入社当時からお世話になった人なので全力で取り組んでいるところです。

以前からARには興味があったので良い機会を貰えたのと、今までにやったことがない分野なので分からないことが多いけど楽しいです。

 

今後については、取り敢えず3月で今の会社を退職する旨を伝えてあるのでその予定です。

できるだけ個人としてお金を稼いでいく方向にシフトしたいので、フリーランスになるのか、どうしたものか検討中です。

 

せっかく入江開発室のアドベントカレンダーとして書かせてもらったので、入江開発室に入って今現在感じているメリット、デメリットも書いておこうと思います。

メリットとしては、同じ志を持った人が多く集まっている、情報感度が高い、チーム開発の経験が得られるところだと感じています。

チーム開発の経験は、個人プロジェクトでも活用できているので非常に参考になりました。

デメリットとしては、プロジェクトに参加してコミットした時が一番メリットを感じやすいが、反対にいろいろな理由でコミットできないと学びは少ないかも。

 

まとめ

自分のことや、思っていることを文章にすると頭の中が整理されていいですね。

文章が短くなるようだったら、ITに興味を持った大学時代の話も付け足そうかと思ったけど、なんだかんだ長くなったので止めておきます。

2019年が自分と、この記事を読んで下さった方にとって、良いものになりますように。

ちょっとはやいけど、メリー・クリスマス&良いお年を!!